滋賀県立「近江学園」の整備計画

1971年に滋賀県湖南市東寺に移転された滋賀県立「近江学園」の立替え整備計画が発表された。

建築後48年を過ぎ、老朽化された現在の管理棟や居住棟を含め解体し、新規建物を整備する計画である。工期は令和6年3月、その年度から新しい「近江学園」が新たな歴史を刻むことになる。

わたしが前職(久米建築事務所・現久米設計)でかかわった、現在の建物が役割を果たして新しく生まれ変わることに、一抹の寂しさとともにこれからの子供たちに良い環境をプレゼントしてほしい気持ちげいっぱいだ。

「近江学園」は知的障害を持った子供たち(児童法で18歳まで)の社会支援施設として、故糸賀一雄先生の提唱された「この子らこそ世の光」を理念に運営されてきた。

プロジェクトにかかわった当時、先生の書籍を読み解き、どのような空間が必要かを模索したつもりであったが、今見てみると建物は少し離れすぎ、有機的なつながりに欠ける。特に子供たちの行動範囲(特に障害を持った子供たちの行動範囲)の把握が不十分だったと感じられる。もっとお互いのコミュニケーションが可能な距離感を演出できたのではないかと反省する。

コストのコントロールも不十分だった。今ではもっと引き出しを活用できたと思う。しかし、それらの不利なハードを良く活用し(使いこなし)子供たちと接していただいた職員、先生、介護スタッフの皆さんの努力に感謝する。

いま、「建築がケアを助ける」をテーマに設計(特に高齢者の住環境)に携わっているが、新しい「近江学園」は、どうか建築が子供たちの限りない希望と夢と感性を伸ばすハードであってほしいと念ずる。

2026年、新しい「近江学園」を見ることが楽しみである。

社会福祉法人太陽会 しょうぶ学園訪問記

DSC_3902A.jpgDSC_3883A.jpgDSC_3887A.jpgDSC_3905A.jpgDSC_3933A.jpgDSC_3934A.jpg

DSC_3890 B.JPGDSC_3891 B.JPGDSC_3904 C.JPG

DSC_3908 C.JPGDSC_3932 C.JPGDSC_3946 B.JPG

DSC_3947 B.JPG

DSC_3929A.jpg

DSC_3930A.jpgDSC_3878A.jpg

鹿児島市の北部住宅地に囲まれた一角に社会福祉法人太陽会の運営する「しょうぶ学園」(SHOBU STYLE)がある。障害を持った人たちの生活支援センターをうたう「しょうぶ学園」は、生活支援を越えて彼らが社会に必要不可欠な存在であることを教えてくれた。

学園の成り立ちや活動はウェブサイトに詳しいので、訪問した印象と素直な感想を述べてみたい。SHOUBUと書かれた学園(キャンパス)のサインを見てなだらかな坂を下ると、蕎麦屋「ぽん太」ベーカリー「ポンピ堂」などのショップが並び、抵抗なく自然に敷地内にアプローチできる。建物スケールも周辺住宅から逸脱しない大きさで、好ましい。キャンパス内は樹木が多く植栽され、様々な木陰を作っており、建物と建物をつないでいる。開設当初の写真を見ると芝生でおおわれたメイン広場が広がっているが、今は周辺に樹木が広がり、変化に驚く。決して意図したわけではないと言われるが、まるで自然な空間構成がなされている。昼休みには多くの人たちが表に出てきて、思い思いの時間を過ごしている。

キャンパス内の工房は、まさしく「人の手による作品作りの工房」で皆さん作者然としておられたのが印象的だった。木工や陶芸の工具類はきちんと整頓され、非常に清潔で、スタッフの心遣いが感じられるとともに、安全への配慮が行き届いている。利用者は皆作業に集中をしており、作家の制作アトリエにお邪魔したような気がする。

わたしたちは自立支援という言葉に含まれた、何か人の上下関係を、無意識の上で使っていて、自立=社会(我々の価値観の中の)への参加という尺度で測っていること、我々の価値観に組み込むことでのいわれのない安心感に浸っているのではと、キャンパスをめぐりながら考えていた。

ひとは社会(多様な価値観のうえで)の中で上下関係は無く、存在そのものに意味があることに改めて気づかされた。

「しょうぶ学園」の活動の過程で、企業の下請け作業(従属)から脱却し、皆(作者)の個性を花開かせることで、結果として唯一無二の、いわばブランドを確立されていく過程に、かかわった皆様の並々ならぬ志と強い意志を伺い知ることができる。 

「製品」から「作品」へ、それを手助けする職員スタッフ、そこには作品作りの主体が制作者にあり、作品はすべからく無二の価値があり、スタッフは参加することで、同じ価値を共有し、自らの感性を磨くことができる。福森統括施設長の言われる「彼らに職員の教育をしてもらっている」の意味が解ります。 テキスタイル工房(NUI PROJECT)で黙々とインスタレーションを作られている。その作品の散らばりようが美しかった。    

適度な地域とのかかわりあい、建物の形状とそれにかかわる多彩な外部空間の作り方(偶然ではなく必然だと思う)など、キャンパスのたたずまいはとても豊かだった。その豊かさに、住まわれる皆さん、訪れる人々、スタッフの方々は大変良い影響を得ていると思う。ぜひ大切にしてほしいと思う。

わたしは次の日に滋賀県立「近江学園」を尋ねた。約50年を経た建物は良いメンテナンスを重ねることで、とてもきれいな状況を保たれていた。 

「近江学園」は、わたしの初めての仕事であり、糸賀一雄先生の資料も読み込み計画を進めたつもりだったが、今、久しぶりに訪れると、残念ながらそこにあるのはコミュニティーとはかけ離れた空間だった。時間の変化に対応できずに置き去りにされた空間がそこにあった。設計の責任がおおきいと思う。人生で一番多感な子供たちの生活の場は、今であればもっと異なったアプローチで設計されたと思うが、しかし時間は巻き戻せませない。約半世紀の時間、子供たちにもっと豊かな空間を提供できなかった、職員たちはその中で余計な努力をかさね、子供たちに対処していったのだと想像する。建築は残る。時代とともに変化することができない建築は敗北だと思う。力不足だった。

    

 

 

北京大学医学部サロンセミナー

沙?照片8-12.JPG

前回の出張で、北京大学医学部から高齢者ケアについて建築の立場から話をしてほしいとの依頼を受け、サロン・セミナーの講師を務めました。
北京大学の中のブックストアのサロンで行われた小さなセミナーは、学生たちや、若い設計者が60名ほど集まり、急きょ椅子を追加するほどでした。ありがたいことです。日本の高齢者福祉の実態に設計の現場からのはなしは、皆、興味があるのだと思います。
東日本大震災への援助に対するお礼から始まった講演は、日本語のパワーポイントと、中国語の通訳を交えたことで、30分ほどの質疑を交えて約2時間半にわたりました。
はなしの内容は、わたしの実務で考えている「建築がケアを助ける」というテーマです。

目の前の老人に真摯に向かい合うこと。
彼らの生活を想像し思いやること。
彼らの歴史(人生)を聞き取ること、汲み取ること。
彼らのもっている感情や感覚(もって生まれた五感)を刺激する環境を作ること。
決してすべてをバリアフリーにする必要はないこと。2つのバリアー。行動と心(精神)のバリアーを取り除くにはあえてバリアーが必要なことがあること。
高齢者の住環境にHOW-TOはなく、あくまでも彼らの生活に想像力をはたらかせ、決して収容所を作ってはならないことを話しました。
建築の技術的な事は、決して十分でない大きさの中で、いかに有効なスペースを作り出すか、一つ一つを足すのではなく、時には掛け合わせる空間が重要になることなどです。

いま中国の老人たちは1937年から始まった日本との戦争や、60年の「大躍進計画」そして70年代の「文化大革命」を経験してきています。いわば彼らにとって触れられたくない過去をどのようにくみ取ることができるか、そのことが彼らのこれからの生活に及ぼす影響はどのようなものか、中国での高齢者福祉の大きなテーマだと感じています。

中国国際養老サービス博覧会

第4回の「国際養老サービス展示会」が6〜8日に北京オリンピック公園・コンベンションセンターで行われました。併設して健康・医療展示会(こちらがメインのような)も開かれていて、そこそこの賑わいを見せていました。
会場の広さはビックサイトで行われる「国際福祉機器展」の1/3位で、名前のように機器メーカーよりも、サービス提供者のプレゼンテーションが主でありました。日本の(株)ニチイ(1社だけ)のブースが圧倒的に大きく、中国の高齢者市場(いやな言葉だ)への関心の高さを示していました。
高齢者住宅事業への紹介に合わせて、介護機器の展示も有りましたが、あまりめぼしいものは見られず、この国の福祉機器の到達点が推測されます。特に入浴の週間が薄い中国ではいわゆる浴室の提案は少なく、介護浴もテェア浴が一台だけでした。リハビリ機器も筋肉の衰えた高齢者用ではなく、一般的な機器のみでまだまだ開発の余地があると感じています。
海外(国際と名うつなら)からは、日本のほかに、フランスからのコンサル(企画・設計・施工)も6社合同のブースを出しており、これから進出するのでしょうか?外国の商品=高級のイメージを伝えるようなパネル展示を行っていました。
そして、日本の「国際福祉機器展」と違い、車いす利用者の来場は皆無でした。それは彼らが街に出る手段が無いことにもよります。公共輸送機関(バスでも地下鉄でも)は、障がい者が利用できるように、エレベーター(あることはありますが)などのバリアフリー対応ができていません。トイレも見当たりませんので、家の中に閉じこもりがちなのでしょう。
2008年のオリンピックを契機に、障がい者への思いやりが進んでいるのではと思いましたが、残念ながらまだまだ彼らが自由に街を歩くことはかなわないようです。日本も偉そうなことは言えませんが・・・。

 

P1020752b.jpgP1020755c.jpgP1020764d.jpg

オーストラリアの高齢者福祉 その3

JETA GARDENS AT BETHANIA

頤康園

 

ゴールドコースト郊外の、広大な敷地の一角にある中国系高齢者のための住宅。

低層の住宅が組み合わされ、解放感とともに、建物内外とも中国系のデザインでまとめられている。食堂も中華料理の円系のテーブルが用意してあり、ストレスなく生活ができるよう配慮されている。

R0015377hp.jpgR0015387hp.jpgR0015438hp.jpgR0015442ahp.jpgR0015378hp.jpgR0015385hp.jpgR0015381hp.jpgR0015383hp.jpgR0015424hp.jpgR0015423hp.jpgR0015426hp.jpgR0015413hp.jpgR0015421hp.jpgR0015393hp.jpgR0015397hp.jpgR0015395hp.jpgR0015405hp.jpgR0015430hp.jpgR0015401hp.jpgR0015398hp.jpgR0015436hp.jpgR0015429hp.jpg

 

 


オーストラリアの高齢者福祉 その2

VICTORIA TOWERS 

ケアレジデンス  Southport Gold Coast

デペロッパー   LOTTEが出資、開発はCPP韓国の開発会社シティ・プラン・パートナー                

           (CITY PLAN PARTNER)
設       計 Angelo Nicolosi & Associates Architects
施       工 HUTCHISON  
R0015260HP.jpg R0015266HP.jpgR0015270HP.jpgR0015264HP.jpgR0015263HP.jpg

敷地はサウスポートの中心街にあり、道路を隔てて医療センターとショッピングセンターに隣接し、日常生活の利便性は高い。またブロードウォーターというビーチも近いということで、好ロケーションにあると言える。

建物の前の道路にはライトレール(LIGHT-RAIL *1)が走る予定とのこと。将来的に良好な環境を備えていると思われる。

総工事費は約$220,000,000(2億2千万ドル:現在の為替レートで約188億円)で竣工は2011年3月の予定。50歳以上のためのレジデンス(リタイアメント アパート)。36階建て、2〜4階に24時間体制を持つというケアセンターを有するが、その運営母体はまだ確定していない。

レジデンスは31フロア、1Bed Room 2Bed Room 3Bed Roomの3タイプ。ゴールドコースト初の高層リタイアメントハウスであることを最大の特徴としているが、その利点は不明であった。

都市に住み続けるということか?ステイタスを持ち続けることか?ライフスタイルをどのように作っていくのか?そのステージになりうるハードか?大理石トップのシステムキッチン、オールウールのカーペット等が高級感を表していると販売ツールにあるが、厚さ7mmでは高級とはいえないだろう。海外建築の常である材料の使用に対するきめ細やかさのない施工など、我々が考える高級感とはほど遠いものがある。それがケアセンターには顕著に表れているのが残念である。

ケアセンターは30u以下の個室が1フロア当たり28室、全体で84室あり、ダイニングが1か所、1階の厨房から運ばれて漏りつけを各階で行う。2室で小さなアルコーブを持ちそれぞれ色彩を変えて視認性と空間の認識性を高めているが、その色彩は赤、黄、グリーンなど彩度の高い色彩であり、ケアセンターとしての色合いではない。

またエレベーターの乗降管理はテンキ―で行われており、自由な行動を妨げている。低層階にあるところから、居室の窓は腰壁があり、車いすの生活では視線が限られてしまう。隣接する外壁面が迫っている部屋では床まで開口部になっているが、壁が隣接していることからかえって陰湿な印象を受ける。

介護フロアには参考となるべきものがない。あくまで高齢者介護とは医療介護であって、生活介護ではないため、我々の感覚からは参考にしたくない空間となっている。

5階部分はエンターテイメントエリアになっていて、ジム、スパ、ローンボウリングコート、バーベキューガーデン、屋外プールなどがある。また隣接して退役軍人センター(RSL・復員兵士同盟: The Returned and Services League of Australia)クラブがあり、それらの利用も可能という。

サウスポートの中心エリアなので買い物にも利便性が高い。


ライトレール(LIGHT-RAIL *1)

現在ゴールドコーストでは「ライトレール」という路面電車の開発が進められている。開発は2009年8月に着手されたが、実際に利用が可能となるのは4年後の2014年になる予定。ルートはグリフィス大学(Griffith University)からサウスポート(Southport)、メインビーチ(Main Beach)、サーファーズ・パラダイス(Surfers Paradise)を抜け、ブロードビーチ(Broadbeach)まで。投資金額は約18億豪州ドル。今後民間との共同事業化も見据えている。


De Paul Manor 

Manonr Estate

Estate27 Edmund Rice Drive Ashmore QLD 4214


リタイアメントハウス。ケアの施設は付属していない。介護度に応じたハードのつくりはされていない。

建物は傾斜地に位置し、とても開放的で低層のタウンハウスのような住宅が組み合わさっている。建物の間は庭というより相互のプライバシーを守る空間としている。ここでは建物写真を中心にレポートする。

R0015330hp.jpgR0015328hp.jpgR0015296hp.jpgR0015286hp.jpgR0015287hp.jpgR0015289hp.jpgR0015292hp.jpg

R0015302hp.jpgR0015306hp.jpgR0015304hp.jpgR0015299hp.jpgR0015301hp.jpgR0015308hp.jpgR0015313hp.jpgR0015300hp.jpgR0015316hp.jpgR0015314hp.jpg



De Paul Villa

R0015279HP.jpgR0015278HP.jpgR0015281HP.jpg   

 

R0015283HP.jpgR0015275HP.jpgR0015277HP.jpg  

市の中心街から15分ほどにあるこのコンプレックスは、サウスポートカソリック・メリー・イマキュレート教会を中心として集会所、アクイナスセカンダリーカレッジ、スポーツセンター、ガーディアンアンガス小学校、プレスクール(就学前の保育センター)等があり、近くチャイルドケアセンターがオープンする。カソリック系の施設であるDe Paul Villaは運営費のすべてを政府からの助成金で賄っている。
De Paul Villaは1991年にオープンし、オープン時は55ベッドのロー・ケア棟とレスパイトアコモデーションを持った施設であった。その後1996年に40のハイ・ケア棟を作りその後32ベッドのロー・ケア2007年に全体が完成した。
ケア棟エントランスを入るとドアのついた衝立があり、鍵か掛けられて入居者が容易に外部へ出られないようになっている。入ったとたんに匂いが気になった。向かって右側に受付(?)カウンターがあり、その後ろ側にダイニングがある。10人程度の人たちがリクライニングシートに座ってTVを車座で見て(?)いた。一人の方は歩行器を使ってリハビリをしており、リハビリ室はないためにダイニングと廊下を使っていた。介助するのは介護スタッフと2名の学生研修生。介護スタッフが少ないからかお年寄りはそのままほっておかれている印象を受けた。職員数は120名。分業されており厨房、清掃、洗濯の職員は直接介護に携わらない。ちなみに介護のシフトは、1,2階各20室とも3交代で朝(6時から14時)は4名の介護士、ナースが1名、マネージャー1名。昼(14時から22時)介護士2名、ナース1名。夜(22時から翌朝6時)は介護士1名、ナース1名。ナースとマネージャーは建物全体の人数。
現在50人ほどの待機者がある。学生研修も積極的に受け入れており、受け入れは年間200名程度。居室は2人部屋、2室に一つの便所とシャワールームがある。居室内はカーテンで仕切られ、汚物入れが間にあった。部屋の中はベッドと備え付けのクローゼット中央にTV。床はリノリュームで洗面が一台、個人の思い出の家具を持ち込むようなことは不可能な状態であった。洗面は高さがあり、カウンターも厚さがあるため車いす利用は考えられていない。
建物間には高さ1.5m程のフェンスがあり、扉には無骨な南京錠がかけられていた。これは徘徊者対策とのこと。いくら中庭にBBQガーデンがあろうとも入居者は閉じ込められているように思う。また建物ゾーンに入るにもゲートは電動、鍵付きであり、敷地全体を安全という名目で隔離している。次に見たリタイアメントハウスの解放感と比較するとやりきれなさが辛い。

 

 

オーストエアリアの高齢者福祉 その1

2010年12月に訪れたオーストラリアの高齢者福祉施設について、視察先と受講したセミナーの内容をレポートする。なお通訳を通じての講演であり、聞き取り、あるいは記録に誤り場ある場合はご指摘いただければ幸いです。

 

「オーストラリアの高齢者福祉」 Australia aged care system     

サザンクロス大学  コーリン・カートライト教授


1 人口動向と社会変化  高齢者の生活状況
オーストラリアでは65歳以上の高齢者は全人口の13%。日本は20%、シンガポールは8.5%である。(from Kendig & Phillips 2008)団塊世代の高齢化と継続的な移民がこの要因となっている。この割合は増加し2020年に20%、2050年には24%となる。現在ツイートヘッドなど一部の地域では22%となっている。オーストラリアの平均寿命は男性で81歳、女性で85歳である。60歳以上の高齢者のうち94.0%は在宅で生活し、5.2%が施設・病院等で生活している。施設入所者の割合は80歳を超えると急増し、男性で15.7%、女性で25.0%となる。また、24.7%が単身生活を送っている(Australian Social Trends 1996)。65歳以上人口のうち就業者は、男性で9.4%、女性で2.7%、平均5.6%である。無拠出の老齢年金制度の受給開始年齢は、男性65歳、女性60歳(漸次65歳まで引き上げ)であり、退職後の生計は、年金収入への依存度が高い(64%)。


2 オーストラリアの高齢者介護制度
オーストラリアの高齢者福祉は、北欧の「高負担・高福祉型」とアメリカ合衆国型の「セルフ・ディフェンス型」のちょうど中間の「中負担・中福祉型」といわれる。オーストラリアの社会福祉の基本方針は、個々人の自立を原則とする最低保障で、その財源は税金による一般財源でまかない、この社会保障で不足する部分は民間のサービスを利用するという考え方である。高齢者ケアは施設ケアとコミュニティー・ケアの2つで成り立っている。施設ケアはホステルやナーシング・ホーム(日本での特別養護老人ホームのケア)といった入居型介護施設。コミュニティー・ケアはハック・プログラムによる地域在宅ケア制度、地域ケア・パッケージ、(Community Aged Care Packages)日本の介護認定に相当するエーキャット・チーム(Aged Care Assessment Teams)による高齢者介護評価サービス、NPOやボランティア活動といったものが基本システムとなっている。
ケア・パッケージとは、比較的軽度の介護度の高齢者に在宅で食事や選択、入浴、投薬等のサービスを振り当てるもので、その人、個人の介護度に応じたサービスを組み合わせるもので、始めからパッケージングされたものではない。   理念としては、従来はホステルやナーシング・ホームといった入所型介護施設でしかうけられなかった介護サービスを、自宅で受けることを目指すもので、1985 年に導入され、現在まで改良を加えながら発展させてきている。また、それを支えるものとして、ボランティア活動が地域福祉発展の大きな柱と考え、各種ボランティア団体に対して法人格を与え、州および連邦政府が補助金を出すなどの方法で活動の支援を行っている。オーストラリアも、他の先進国と同様に少子高齢化の問題を抱えている。ただ、オーストラリアの場合は、第二次世界大戦後から、移民を積極的に受け入れており、その中でも若年移民を優先していたことから、他の先進国に比べて人口増加率が高く、高齢化も緩やかであった。しかし、他の国々に比べて、ゆるやかではあるが、65歳以上人口が 12パーセントを超え、高齢化社会から高齢社会への移行期にあるといえる。
現在、世界の福祉先進国の取り組みは、在宅介護を中心とする地域介護=コミュニティー・ケアが主流となってきているが、その契機となったのは、実はオーストラリアであるといわれている。オーストラリアも 1980 年代、世界で、福祉の危機が叫ばれていた時代に、経済優先で福祉の切り捨てかをしなくてはいけないというジレンマに立たされていた。ホークおよびキーティングという2代にわたる労働党政権で、「福祉をとるか、経済をとるか」という二者択一ではなくて、福祉の切り下げをせずに、財政負担を軽減することを目指した。これが、オーストラリア型の「中負担・中福祉」である。この理念を実現するために、1985 年に、在宅介護を中心とするハック・プログラムと呼ばれるコミュニティー・ケア制度が創設された。これとあわせて、ハック・プログラムによる地域在宅ケア制度、ホステルやナーシング・ホームといった入居型介護施設、高齢者のための地域ケア・パッケージ、日本の介護認定に相当するエーキャット・チーム(Aged Care Assessment Teams)による高齢者介護評価サービス、NPOやボランティア活動といったものが基本システムとなっている。


(1)ハック・プログラム=地域在宅ケア制度の誕生オーストラリアにおける高齢者や障害者に対する在宅ケア・サービスは、ハック・プログラム(HACC=Home And Community Care Program)と略称される在宅・地域ケア制度で、連邦政府と州政府が協力して推進することになっている。オーストラリアでは、1975年ころから高齢者人口が急激に増加し、一気に10%を突破したが、当時は、介護が必要になった高齢者は希望すれば入所型介護施設であるナーシング・ホームやホステルに制限なく容易に入所することができた。その結果、著しくこの入所型介護施設が不足するようになり、ナーシング・ホームやホステルといった施設の建設ラッシュとなった。当然、莫大な補助金支給が必要となり連邦や州は深刻な財政難に陥った。このことがきっかけで、少子高齢社会に備えた恒久的かつ抜本的な高齢者ケアのあり方が政府や関係者の間で本格的に検討されることになった。結論として、「住み慣れた家や地域から離れて暮らしたくない」という高齢者の意思を最優先することになり、従来の施設中心型の介護サービスから、経済効率の良い在宅ケアを中心とする制度に移行することになった。そこで創設されたのが、この 1985 年のハック・プログラムである。このハック・プログラムの主要な目的は、地域をベースにした高齢者への支援・介助サービスを実現することにあり、それに要する費用は連邦政府と州政府とで合同して負担する。制度全体は、連邦政府のコントロールのもとで、州政府(State)と属領(Territory)政府が、責任をもって運営することになっている。このハック・プログラムにもとづいて提供されるサービスとしては、ホーム・ヘルプサービス、訪問看護、家屋修理および家屋改造、給食サービス、介護者支援サービス、輸送サービス、訪問看護・緊急医療サービス、ボランティアを含めた福祉サービス提供者に対する教育・訓練サービスなどである。


3 現在の高齢者介護システムの問題点    

公的な高齢者介護サービスは、どこの地域においても同じレベルのサービスが提供されなければならない。しかし、連邦政府および州政府によって提供されるサービスに品質の差が生じてきた。  2011年7月からオーストラリアの全ての高齢者介護サービスが連邦政府の管轄で行われることになった。もちろん介護表化チームによるサービス評価は継続される。 

 

4. 施設ケア国の補助金を受けた非営利団体等が提供する「施設ケアサービス」(入所型の高齢者介護施設)は、大きく、ホステルとナーシング・ホームの2種類に分類される。2007年6月末現在で170071床の施設が存在する(政府の目標は、70歳以上の高齢者 1000人に対して 88床(うちハイケア施設 40、ロー・ケア施設 48)であるが、2007年6月末時点では 87.0床となっている。入居率は国内全体で 94%となっている(一方で、人気のある施設への入居待ちも存在する)。 


(1) ホステル

ホステルは身の回りのことは自分自身で出来るローケア(軽度介護)高齢者のための施設で、原則として部屋は個室で家具は自分のものを持ち込むことができ、可能な限り自宅の生活環境に近いものとなっている。


(2) ナーシング・ホーム

ナーシング・ホームは、24 時間ケアを必要とするハイケア(重度ケア)高齢者のための施設で、看護婦が常駐して医師の往診を受けながら生活をすることになる。入居者の 6〜7割は認知症患者で、重度認知症高齢者専用のユニットを併設している施設も多い。 コスト面では、ナーシング・ホームはホステルに比べ約 2〜3 倍のコストがかかるため、政府は、できるだけホステルや在宅ケアの比率を上げようとしてきた。

 

(3) 経営母体の内訳 

施設の運営は、全体では、宗教団体が29%、民間経営が26%、地方自治体の経営が7%、慈善福祉団体が 15%となっているが、州によっては異なる。都市部では、民間が 37%、宗教団体が 33%、事前福祉団体が 16%であるが、遠隔地域では、地方自治体の経営が45%と多くなっている。 

 

(4) 年齢別施設入居率 

2006 年 6 月現在、65 歳以上人口に占める施設入所者の割合は、5.31%(男性 3.45%、女性 7.43%)である。80 歳未満では、施設入所者の比率は 5%以下に留まっているが、80-84歳では 11.43%、85歳以上では 31.05%と、80歳代で比率が急増する。 

 

(5) 入居者の構成 

2007年 6月現在の施設入居者のうち、女性が 71%と 4分の 3近くを占めており、この傾向は、年齢が上がるにつれさらに顕著になる。また、連邦政府の方針に基づき、64歳以下の入所者の割合は 4%と低く押さえられている。75歳以上が入居者の 87%を占めている。入居者は、要介護度(the Resident Classification Instrument:RCI)に基づき 8段階に分類されるが、要介護度の高いレベル1〜レベル 4 に該当する入所者の割合は70.1%を占める。海外生まれの入所者は全体の 27%を占める。 ACATによる判定は入所時に特化し、入所後の判定、モニタリングは、客観性を保持するために別の組織が行うようになっている。 2007 年 6 月末現在、施設入所者のうち、85 歳以上が 54%を占める。64 歳以下の入所者の割合は 4%と低く、90歳以上の割合が 27%と高くなっている。 施設ケアにおける入居者の 16%が同様に非英語圏生まれとなっている。移民の場合、家族のサポートを得られず、施設ケアの活用率が高まるという分析もある。   

 

(6) 施設入居期間

通常入所者の入所期間の平均は 145.9週間(約 3年弱)。入所者のうち、3ヶ月未満の入所者は 18.3%、3ヶ月〜1年が 19.4%、1〜5年が 43.8%、18.4%が 5年以上となっている。 施設から出所する場合の理由は、死亡が 88%、在宅ケアへの移行が 4%、他の施設への移動が 4%、入院 4%と死亡が圧倒的に理由として多くなっている。(7) 施設利用料施設入所者の 88%が老齢年金あるいは退役軍人年金(DVA Pension)を得ている。国からの年金を得ていない入所者は 10%。また、所得が低いことから国からの何らかの割引や 補助を受けている入所者は全体の 39%に及ぶ。 オーストラリアの施設ケアでは応能負担の仕組みが導入されており、随所でミーンズテストに基づく金額設定がなされている。費用は Basic Daily Fee、Daily Income Tested Fee、Accommodation Bonds、 Accommodation Charge、Accommodation Bond Interest Rateで構成される。Accommodation Bonds*は、入居者の資産査定を行い、総資産からretention 額を差し引き、その額を預けるというもの。退所や死亡した場合には、預け入れ額から入所年数に応じて毎月の規定額(retention amount)を差し引かれ残りが支払われる。 
*1997 年 10 月1日より入所保証金(Accommodation Bonds)制度が導入された。煙探知機・警報装置の設置、エレベーターの設置等、連邦政府が定めた安全基準を満たし承認(certification)を得た施設のみが、新規入所者に対して入所保証金を課すことができ、入所保証金を施設の改善費用に充当できる。これまで民間団体の運営するナーシングホームの改装は政府補助の対象となっていたが、計画導入後は、施設は、入所者1人当たり年間 retention 額まで入所保証金を取り崩し、それを施設改築費用に充当している。


(8) 施設認可制度

オーストラリアでは、全ての高齢者ケア提供施設は、半官半民の第三者機関であるAged Care Standard Accreditation Agencyの認可を受けている。 認可のプロセスは、自己評価⇒書類申請⇒書類審査(机上並びに訪問)⇒認可⇒モニタリング(少なくとも年に1回)⇒(認可期間終了時)再認可に向けた申請手続きの開始〜 (訪問審査には、Aged Care Standard Accreditation Agency から評価担当者・施設の看護部長・その他管理者等が立ち会う) 4つの分野で 44の項目(Accreditation Standards)を満たす(4段階評価)必要がある。      

基準 1:マネジメント・スタッフ・組織展開               

継続的な改善、規則遵守、スタッフ教育、入居者の発言機会、ビジョン、 スタッフ管理、サービス・機材のストック、情報管理、外部サービス       

基準2:ヘルス・パーソナルケア 

継続的な改善、規則遵守、スタッフ教育、メディカルケア、特殊看護、薬剤投与、痛みのマネジメント、緩和ケア、栄養、スキンケア、継続管理、行動管理、リハビリ、口腔ケア、睡眠、知覚喪失       

基準3:入居者の生活スタイル               

継続的な改善、規則遵守、スタッフ教育、感情面のサポート、自立性、プライバシーと尊厳、余暇、文化的・精神的生活、選択・決定権、ケア受給権       

基準4:物理的環境や安全システム               

継続的な改善、規則遵守、スタッフ教育、生活環境、労働環境と安全性、火事等の非常時対応、感染病対策、ケイタリング・洗濯サービス 


<参考>オーストラリアの介護・看護職員種類  教育背景 

パーソナルケアワーカー    資格証明書3級保持者。資格証明書4級保持者または無資格 

パーソナルケアアシスタント  資格証明書3級保持者。資格証明書4級保持者または無資格 

ダイレクトケアワーカー     資格証明書3級保持者。資格証明書4級保持者または無資格 

アシスタントインナーシング  資格証明書3級保持者。資格証明書4級保持者または無資格 

フィールドケアスタッフ      資格証明書3級保持者。資格証明書4級保持者または無資格 

フィールドケアワーカー     資格証明書3級保持者。資格証明書4級保持者または無資格 

准看護師             資格証明書4級保持者が申請。職業訓練校に通いながら、各保健サービス地区に

                  所属し病棟で勤務、給料を支給されながら、実務経験を積む 

登録看護師            高校卒業後、大学の看護コースで3年 

臨床看護スペシャリスト     新卒後、最低2年以上の臨床経験や専門分野の教育を受けたもの。

                  各病院で決められた基準に見合う者が申請、各病院で査定委員会の認定を受ける

臨床看護コンサルタント     新卒後、最低5年以上の臨床経験。各保健サービス地区で募集。

                  修士レベルの教育背景を持つことが望まれる 

臨床看護教育者         新卒後、数年臨床経験をつみ、その後看護教育部門の仕事を申請する 

看護師長             新卒後、数年の臨書経験を積んだもの。 

看護部長             臨床経験と管理にすぐれているもの 

<瀬間あずさ氏、日豪ヘルスリソースより>


5. コミュニティー・ケア(在宅ケア)
(1) コミュニティー・ケア普及の背景 

オーストラリアでは、医療・介護ともに、かかりつけ医(以降 GP )が中心となって行われている(GPの数は 2006年6月末時点で 25,146人)。診療はもちろん、介護サービスの利用に関しても、GP からの紹介という形で連携したサービスの流れが中心となっている。患者であり、サービス利用者でもあるお年寄りのケアを、体調を熟知したGP が一括して管理するため、医療と介護の連携はよりスムーズとなり、リスクも軽減される仕組みとなっている。広大な土地ゆえに、GPを中心に、IT(バイタルコールシステム)活用も積極的に行われている。 80 年代に膨らんだナーシング・ホーム等施設ケアによる財政負担を抑えられるほか、「それまで暮らしていた場所で自立した生活を継続できることが本当の意味での人間の尊厳にも合致する」との考え方から、コミュニティーケア(在宅ケア)への転換誘導が行われ、現在では、コミュニティー・ケアがオーストラリアの高齢者ケアの基本モデルとなっている。 
<参考> バイタルコールシステム 1人暮らしの高齢者が自宅で急病や事故にあった場合、首にかけたペンダントの赤ボタンを押すと、緊急センターに通報が届き、緊急センターと会話ができるというもの。声を出せない状況でも緊急スタッフが以上に気づいて、予め登録してある緊急連絡先に通報することでだれかが駆けつけてくれる安心システムとなっている。緊急連絡先は、近くの GPや家族、友人など 3人を登録し、さらにセンターから再確認の電話が必ずかかる二重チェックシステムとなっている。 

(2) コミュニティー・ケア

利用者数2006年のデータによると、高齢者の 94%は自宅で過ごしており、約 6%が自宅以外の施設で過ごしている。但し、85歳以上になると在宅率は 74%と 7割に減少し、施設療養が増加する。 2007 年度で、70 歳以上の高齢者の 1,000 人に対して 21.8 のコミュニティケアパッケージ(HACC 除き)が用意されており、政府は 2011 年度までに、25 パッケージを用意することを計画している(この数字は施設入居レベルの人達の在宅比率を意味する)。 2007年 6月末現在でパッケージの利用者数は以下の通り。 CACP:35,000人(年間では 5万人)、EACH:3,000人(同 4,600人)、EACH Dimentia:870人(同1,340人)、HACC:80万人


6 オーストラリアと日本の長期ケアシステム
日本とオーストラリアの高齢者介護の違いは、日本では介護の財源が介護保険制度によるものであるのに対して、オーストラリアでは全てが一般財源(税金)で賄われることである。   

オーストラリアでもケアニーズのための保険はあるが、あくまでも健康保険の範疇を出ない。しかし、これから団塊の世代が高齢期を迎えるにあたって、財源確保が可能だろうか?政府への費用対効果を求める風潮になる中で、明確な答を持ちうるだろうか?熟練介護者の不足、財源の不足、利用者のライフスタイルの変化等解決しなければならない問題が多くある。必然的に施設ケアから在宅ケアへの移行がはかられていくであろう。


7 テクノロジー   略

自宅での看とりが地域の介護力を高める

広島県の鞆の浦で、ユニークで素晴らしいケアを実践されている「さくらホーム」が兵庫県の相生でも小規模多機能とデイサービスを展開している。 そもそも代表の羽田富美江さんの生家が相生であったことや、IHIの企業城下町であった相生も高齢化率が進み、少子化も手伝って中学校の統廃合や、小学校の複合授業化が進みだした。相生(兵庫県西部)では高齢者ケアは施設に任せるといった風潮もあり、街の中心地区では家族が高齢者を見守ることが難しくなってきた。  そのような中で羽田さんは自宅(お母さんの家)を改修し、小規模多機能型施設を開設することに踏み切った。JR相生駅から海に下って、ペーロン大会を行う入江を過ぎて、古い街並みに入ると、山に向かって緩やかな坂道が続いていく。 魚屋さん、美容院、雑貨商など町のたたずまいが残っている一角に、小規模多機能「おおの家」がある。 「おお」とは相生の古い呼び名で「おお(相生)」がそのまま現在の呼び名「相生」となったとのこと。今でも「おおの家」の地域では「おお」と呼ばれている。 周辺の住宅と変わらない「おおの家」を利用する人たちはとても自然な生活を過ごしているように感じた。  「おおの家」の大きな特徴は「おばんざい・まめさや」というお店が併設されていることだ。杉板で外壁をつくられた「おばんざい・まめさや」は町並みにしっくりと溶け込んで、以前あった魚屋さん(羽田さんの実家のご職業でもあった)の雰囲気もあふれている。今は時々休業とか、ボランティアの方たちが手づくりのお惣菜をつくって、お年寄りの方たちにお分けしているという。 訪ねた時は皆でお茶を飲みながら切り絵(張り絵)教室を開いていた。まるでデイサービスのような。町のスポットになっているのがとてもうらやましかった。  「おおの家」の責任者の片岡さんは高齢者の自立支援には訪問介護は欠かせないという。それは訪問することでその人の生活や歴史がわかること、訪問を通して家族関係も再構築され、最終的には自宅で家族に囲まれた看とりが必要なのだという。「おおの家は」その手助けをするだけだと。相生ではまだ家族が看とれる環境があり、その環境を大切にして整えることができる。そのためには私たちが家族ごと支える必要があると片岡さんは力説した。    それは図らずも家族の介護力を高め、連携して地域の介護力を高めていくことに他ならない。施設に頼り切らないこと。しかし必要な時には手を差し伸べる環境があること、この相生の試みが全国に広がっていってほしいと思う。
 R0014327BL.jpg   R0014329BL.jpg
2010.5.6 

中国・瀋陽における高齢者施設事情

成田を発って、3時間後には中国東北部第一の都市、瀋陽桃仙国際空港に着く、距離的な近さもあるけれど、ことのほか我が国とのつながりが深い。

中国遼寧省の省都。旧満州国の時代、奉天と言われたこの都市は、「首都」となった新京(現在の吉林省長春)などと並んで、日本支配の拠点となった。満州事変(対中国戦争)勃発のきっかけとなった柳条湖事件(1931年)の現場近くには今、旧日本軍の中国侵略の歴史を伝える「九・一八歴史博物館」が建てられている。

 瀋陽市域の人口は約740万人。同省大連や丹東、吉林省長春、黒竜江省ハルビンなどに向けた東北地域の鉄道や高速道路網の中核都市の役割を担い、農業では、トウモロコシ、水稲などの生産が盛んだ。また、

鉄鉱石や石炭などの資源が豊富で、機械工業などの重工業を中心に発展し、中国の重工業を支えた時代もあった東北地方は、中国政府の改革・開放政策によって沿岸部の上海などに後れを取ってしまった。中国政府は重点的に瀋陽市の開発を行い、2006年、市北部に「沈(瀋陽の簡体字)北新区」という、開発総面積1098平方キロメートル、百万人以上の人口を抱えるグリーン生態都市の建設に取り組んでいる。 

中国の高齢化は我が国と同様に大きく、2004年には60歳以上の高齢者は14憶人(瀋陽市では109万人・高齢化率14.6%)。2020年には倍増すると予想される。1979年の一人っ子政策によって、4-2-14人の親、夫婦2人、子供1人)といった家族構成や空巣家庭(高齢者家族の大半は夫婦か独居)の状況が高齢者問題に拍車をかけている。

高齢者の施設としては公的な養老院があるが、ほとんどが三無(労働能力がなく、収入源がなく、扶養する家族がない)の人たちのための慈善事業的な意味合いが強く、家族がいる高齢者は家族が彼らの介護を行っている。日本にも昔あった親を養老院に入れる後ろめたさから、介護知識のないまま、要介護高齢者を家庭内に抱え込むことになっている。

必然的に高齢者介護施設の要望は高まっているのだが、そもそも中国には介護という概念がないために、介護士や福祉士の教育や制度が手つかずのままになっている。

中国における高齢化の特徴は、人口の多さ(13.6億人・2010年)による絶対高齢者数の増加と、都市部の高齢化率の増大などの地域格差、そして低い経済レベルでの高齢化の進展があげられる。

そして、前段にあげた介護専門家の圧倒的な不足、介護サービスの欠如、認知症高齢者や重度の要介護者に対するケア施設の不足(というより無い)という大変深刻な状況を迎えている。その中で、高資産・中産家族の高齢者を対象としてシンガポールや韓国、そして我が国からも高齢者住宅のプロジェクトが持ち込まれている。そのほとんどが不動産開発の手法で資産を持った高齢者及びその家族を対象として、高額な住宅を販売している。

中国には介護サービスが確立していない状況から、はたして要介護や認知症高齢者への適切なケアができるのか、はなはだ疑問である。彼ら(不動産会社)は部屋や家を売ってしまえばそれで終わりで、将来的な、ましてや教育や人材を育てて、中国の高齢者介護の中核をつくるなどといった高邁な理念はない。

中国(瀋陽)の高齢者問題はわれわれの問題でなく、真に中国の問題である。その重要な事柄を他人に預けることが私には理解できない。開発にあたってインフラのコストを割引したり、税法上の特典を付けたりしても、それは開発のコストを下げ、不動産デペロッパーの利益を増すことこそすれ、新に中国の高齢者介護の現場に益するとは思われないのだ。

不動産を売ってしまえば終わりという商売は早晩破たんすると思われる。近い将来その付けを中国が支払わなくて済むことを願っている。 

今回、瀋陽市での高齢者施設を見学する機会に恵まれたことから、その報告をしたい。

 瀋陽養老院 

自立棟hp.jpg正面玄関hp.jpg自立棟2hp.jpg

瀋陽市郊外、道にまよいながら着いた先は「瀋陽養老院」。瀋陽市で一番設備のすぐれた高齢者施設であるとのこと。案内されたエントランスには「尊老」「合力」「敬老」「確実」「創新」の文字が並ぶ。

案内された2階の会議室には大きなパネルが展示され、現在の施設の図面と、将来計画が作られていた。それによると、現在の施設面積は19000u、11棟の自立型高齢者住宅があり、そこに450床(個室ではない。われわれは個室化をいかにあたりまえだと感じているか)350人の高齢者が暮らしている。

病院棟は120床、3階建てで一階がエンドケアセンター、2階が軍人用病室。3階が精神病(心理ケア)になっている。

将来計画として、敷地東側に3500uの土地を確保し、そこに一期工事で1500u、500床。二期工事として老年人大学*1や老年人活動センターを作るとのこと。その後ろにタウンハウス形式の高齢者住宅を一戸110uで10棟ほど造る計画になっている。

建設コストは1ベッド当たり10万元で、現在、一期工事分は予算が付き建設に入る。新築に伴う入居金の額は3000元/月となり、高級老人ホームとなる予定。

 自立棟の現在の利用料は600元。しかし個室ではなく2人室。入居者のプロフィールは公務員や様々な人たちだが、月に利用料を払える人は中国では多くはない。

食事は4種類のメニューから選択でき、朝食は朝7時、昼食は11時から、夕食は4時となっている。

介護が必要になった場合は隣接する病院のエンドケアセンターへうつる。

スタッフは120名、必然的に国家公務員(80人・1200元/月)となり、うちパートタイムは40名(600元/月)で賄っている。

 部屋を見せていただいた。案内していただいた部屋は視察のたびに案内されるということで、入居者の85歳の女性もわれわれの対応はなれていたようだ。

大変満足している。食事もおいしい。スタッフも親切だし、ここで暮らしていて幸せだと話していた。室内は2つのベッド、TV、小さな冷蔵庫、タンスなどがあり、隣のベッドの堺にはカーテンもなく、プライバシーはない。しかしきれいに片づけられており、大変清潔であった。 

介護病室hp.jpg敷地内の病院窓に格子hp.jpg一般的な居室hp.jpg

ケアを行う病院はひと部屋に3ベッド。カーテンもなく写真のように隣との間隔もせまい。訪ねた時には2人の方が病室に寝かされていた。

1階のエンドケア病室と3階の心理ケア病室の窓には廊下にも鉄格子がはまっており、われわれが考える「人間の尊厳」を守るという理念は無きに等しいものだった。

ケア途上国の中国において、個人の尊厳を守るという理念を根づかして、新しい介護サービスを提供することは大変困難が伴うことを実感させられた。 

*1 老年人大学  遼寧(リョウネイ)大学などから特別共用講座を要請、リタイア教授

                  などが講義を受け持つ。絵画、書道、健康講座などを中心に活動して

                  いる。特別なカリキュラムはない。  

 

瀋陽安老院 

R0013042自立棟屋上から河を望むhp.jpgR0013051自立棟hp.jpgR0013050介護棟hp.jpg

瀋陽市の中心部から東へ20kmほどのHanhe河に面した、緑豊かな場所に「瀋陽安老院」はある。

周辺は穏やかな農地が広がり、川の流れと緑の豊かさが印象的な立地であった。アポイントメントもない、突然の訪問にも関わらず、介護(介護という意識はない)職員の方や、わざわざ私たちが訪問したという電話で、院長も自宅から駆け付けていただいた。

感謝。

質素なオープンシャツ(ところどころシミがありましたが)とズボン、サンダル履きで  農作業の途中でやってきたというような印象の院長は、リョウメイTVの社長(編集長)をされた方で、定年退職後当時はまだ何もなかったこの土地に老人ホームを作ることを決意し、市や国の援助を持たない、完全な民間事業で「瀋陽老安院」を開設した。

 敷地は約40ム(中国の土地売買の単位*660u=26400u)、川に向かってなだらかな丘の上に3階建ての建物が緑に埋まっている。

施設は2期に分けて作られ、2000年に完成した。一期工事は土地代に50000元、建物に100万元(1元=約15円)、二期工事は買い足した土地と建物を合わせて300万元かかっとのこと。

ベッド(まだ個室ではない)数は全部で320ベッド、1室に3ベッドずつのお年寄りが暮らしている。施設は家族的な運営を心掛けているが、建物の質は良くないでしょうとは院長の話。施設の運営は厳しく、公的な援助もないことから、個人や一部団体(仏教の宗教団体)の寄付で成り立っており、アメリカからも寄付も有るという。

中国では施設の立ち上げには1ベッド当たり、4000元(上海では8000元)の援助があるそうだが、ここでは民間のためなかったとのこと。

中国で、高齢者事業を行う海外事業者にはさまざまな利便を与えながら、自国民が自分の資産を持って階簿事業に参入するときには、何ら負担がないことに驚く。

それでは自国民が海外の事業者の商売の犠牲になっているだけではないか。大変穏やかな院長の顔を見て、彼らを国や市行政が援助しなくて誰がするのだと感じた。

今後未曾有の速さで高齢化する中国で、この問題を今解決しなければいけない。それも自身の手で。 

R0013046デイルームhp.jpgR0013044礼拝室hp.jpg

入居はほぼ満員。院長を含んでスタッフは50名。300名を超える人たちのうち、要介護者は65名、その人たちを10名のスタッフが世話をしている。これが中国の介護の実態なのだろう?

入居の費用は自立の人は食事を含んで月に450元(約6700円)。介護が発生するとその程度に応じて、150元から250元の追加費用がかかる。寝たきりの介護費用は700元という。

実際には上記の費用を払えない人が多い(ここに入居している人たちは、家もお金も持っておらず、子供もおらず、月々のわずかな年金だけで暮らしている人たちが多い)ため、寄付に頼っているのが現実だ。

ちなみに、「介護スタッフの給料は月1500元、案内いただいた事務系のスタッフの方は600元とのこと、もちろん院長の給料はゼロ。」と院長は笑いながら話していた。

施設の設備は日本のレベルからすれば劣悪で、ガスはなく、水道は井水を利用し、下水は浄化槽を使わない敷地内浸透式(もちろん日本では不可)。冬期は−20度ほどになる寒さに対しては、石炭による温水をラジュエターに送って暖房を賄っている。浴室も外部にあり、冬期の利用は厳しいだろうなと思った。

 最初に話したように、敷地環境は大変素晴らしいところだ。老人ホームの建物基準で、階層は3階建てに制限されているために、本当に緑の中に包まれている。

しかし、建設当初(それでも8年前)では何もなかったこの地域も、近くに東稜という文化遺産があることから、不動産としての価値が上昇し、川を利用した人造湖(鳥島という近郊リゾート地として開発が進む)などの整備とともに、高級別荘地(あるいは瀋陽市を生活圏とする高級住宅地)にうまれ変わっていった。

今度、この地域は高級住宅地として、政府が開発を推奨する方針決定をし、安老院もここから車で10分くらいの場所に土地(敷地は現在の倍の80ム)を提供され、10000uの建物を新しく建設することを条件に立ち退きを政府から迫られている。 

院長は「このような環境は老人たちにとって、とても重要なものです。立ち退き先の土地は農地で、何もない環境です。私たちも老人たちもここを離れたくはありません。ただ環境が変わってきました。ごらんのように、周辺は隣地まで別荘地が開発されてきました。私たちの施設は変わってきた環境にふさわしくないのでしょう。」とても穏やかな表情を絶やさなかった院長の顔が、その時だけ少し険しく、さびしくなったのは、私の思いすごしだろうか? 

中国が変貌していく過程で、多くの軋轢や矛盾が生じるのはやむをえないことだと思う。われわれもそうだった。

しかし、一部の高額所得者や海外資本の幹部たちのための不動産開発が優先され、老人たちが排除されることの非合理はどうしても同意できない。彼らが移り住む先の土地にも、そこで生活している農民たちがいて、彼らもまた未知の土地に移らなければならないことを思うと、何か忘れ去られている、あるいは意識してみようとしない上に成り立っている今の中国の経済発展を、心から喜ぶことができないのだ。  

 

2009.05.23  

高齢者用に作られた建築部品がもたらす「施設性」の増大

現在様々な高齢者用建築部品が作られていて、私たちはサッシュ、扉、手すり、床材など機能性などの性能を満足させながら、その場所にふさわしい材料を選択して建築をつくっています。しかし、それらの部品を無感覚に使うことは、特に高齢者住宅においては往々にして施設性を増大することに気がつきました。

なぜなら、現在作られている高齢者用または障害者用と謳って開発されている、手すりや扉は、高齢者用または障害者用と謳って開発されているからです。

当然、最大の障害を基準に開発され、製品化されているそれらの部品は、時に過大性能で過去の障害者施設のイメージを内蔵しています。ですから、その部品を使えば使うほど施設性を増大していくのは必然のことでしょう。

有料老人ホームを見学して、1階のラウンジやダイニングなどの共用空間と比べ居住階の空間が少なからず、施設臭を持っているのは、以上にあげた、目に付く部品数が多くあることに原因があると思います。

 

たとえば居住階の廊下に並ぶ巾の広い機械部分が露出した同じ色の吊り扉、既製品の引き手ハンドル、均一な材料でつくられた均一な空間や、同じスタイルの連続する空間が高齢者、特に認知症高齢者の人々に与える精神的な影響はとても大きいのです。

どこを向いても同じ空間(風景)は、認知症高齢者に混乱を与え、自分の部屋が時としてわからなくなります。部屋を間違えたら介護者に注意され、手を引かれて部屋から出されるとき、彼は混乱します。「自分の部屋なのになぜ。」そして、そのような空間を設計(提供)した責任は誰からも問われません。

私たちは、彼らが今まで暮らしたことの無い空間が彼ら(彼女)に与えるストレスを真剣に考える必要があります。

もちろん、設計者や施工者が完全オリジナルなものをメーカーに要求する上で、わが国のPL法を無視することは出来ず、製造者のリスクにかかわることは無視できませんが、手すりを一本一本木でつくる、同じ扉の色を作らないなど、入居者の感性に響く部材を工夫して使用することで、集合住宅であっても住宅らしさ、彼らに住宅そのものを作っていけるのでは思うのです。

 

2008.07.23

一人でも多くの笑顔がみたい   デイサービス・まちの灯

NPO法人の代表であるの田中まゆみさんが、東横線の車中から暮れなずむ町を見ていました。

昼間の生活から夜の生活に入っていく、街のあちらこちらに明かりがともり始めました。その明かりを見ながら、田中さんはこれから立ち上げようとするNPO法人のデイサービスの名称を「まちの灯」と名つけようと決めました。小さな明かりが寄り添って地域全体にひかりが広がっていく、そんなケアを求めて作られたデイサービスの名前に、これほどふさわしいものは無かったと思います。

田中さんは永くお母様の介護に携わってきました。既設のデイサービスなどを利用しながら、お母様を見つめてきた田中さんは、大人数でのケアの限界を感じていました。義理のお母様も入退院を繰り返していたころ、小さな規模でそこに集まるお年寄りが、友達のうちにあそびにきたような雰囲気を持った、デイサービスを始めたいと考えるようになったのです。

渋谷から東横線で30分、川崎市の中央部。開発された住宅地の中にデイサービス「まちの灯」はあります。田中さんのお父様がつくられた瀟洒なつくりの住宅は、適度な広さの前庭とよく手入れのされた心地よい庭を持っています。デイサービスを始めるにあたって、居間とダイニングを拡張し、デイスペースとしました。一般の住宅を改修したために、大規模デイとは異なり、いくつかの空間が分かれています。

ここ「まちの灯」では、みなで一緒に何かをするといったプログラムは組まれておらず、利用者は庭の見える浴室で入浴し、昼食をすませた後のひと時を、それぞれの部屋でさまざまな時間を過ごしています。利用者の幾人かは音楽を楽しみ、また居間のソファに座って雑誌を読む人や、昼寝をする人、ヘルパーさんと繕い物をするなど穏やかで、ゆったりとした時間が流れていました。

緑が豊かな庭には春の花が咲き、柔らかな芝生が広がっています。花が咲き野鳥が訪れ、春には池に蛙が卵を産み付け、おたまじゃくしから蛙になる過程を皆で見つめている。庭は「まちの灯」の絶対的な要素です。視線の先の緑がいかにわれわれの気持ちを和ませるか、田中さんは大きな財産をもたれました。

そして圧巻はお父様の専門であるオーディオが設備された居間です。40cmスピーカーが4つまとまったウーハーの左右セット2台、60cmのホーン型スピーカー2台、そしてツイーターのセット、もちろんスピーカーセットの足元はコンクリートが厚く打たれ、振動を防止しています。壁にはアキュフェイズ(亡くなられたお父様はアキュフェイズの会長でもありますので)のアンプ、サラウンドプロセッサ、CDプレーヤー、スーパーCD用プレーヤー、などが所狭しと並んでいて、専用の電源回路が引かれています。まさにマニアには垂涎の装置です。

ここから流れ出る音はピアノ曲ならアップライトピアノがスタンウエイに変わったよう印象を受けます。尋ねたときも4人の方が「幻想交響曲」と、フォーレの「レクイエム」をうっとりと聴いていました。

田中さんは「まちの灯」を運営するに当たって、食事をつくられる方や、ヘルパーさんそして家族や地域の多くの人たちに助けられているといわれます。お母様の介護経験があるとはいえ、決して介護の専門家でない田中さんが、このような暖かなサービスをお年寄りに提供できることは、必然性があるように思います。それはこの場所に住まわれていて、その地域にもともと根ざしていたもの(生活)があり、その生活の形態を大きく変えることなく、いわば地域の景色を替えないこと、によるのではないでしょうか。

地域の景色を替えないということは、そこを利用するお年寄りの生活の景色も変えないということです。そのことがどんなにかお年寄りの気持ちを和ませているか、田中さんはそれをわたしたちに実践して見せてくれています。介護の専門家。専門性というものが時としてきめ細かな、お年寄りが本当に欲しているサービスに弊害をもたらすことを、わたしたちは少なからず見てきました。

本来お年寄りへのケア(心と身体)とは、自分の家族や兄弟への接し方と同じであり、一人ひとりの個性を大切にし、気持ちを開いて語り合うことから始まると思うのです。今までのケアがいかに一方的であったか、いかにわれわれサービス提供者の論理で行われていたか、「まちの灯」を見ると反省させられるのです。

一人でも多くの笑顔を見たいからと田中さんは言います。ここに訪れる人たちはなんと穏やかな表情をしているのでしょう。お年寄りの笑顔がわたしたちの笑顔に変わっていく、こんなデイサービスがさまざまな場所で始まったら、わたしたちはどんなにか幸福だろうと思うのです。

図2a.jpg図1a.jpg

リスリングルーム                    庭を望むリビング

2008.05.16 

 

ユニークなデイサービス その2   愛知たいようの杜「やさしいところ」

やさしいところ.jpgやさしいところ06.jpgやさしいところ07.jpgやさしいところ09.jpgやさしいところ08.jpg        

長久手の住宅地に「やさしいところ」というデイサービスと、自主事業による介護付き宿泊施設がオープンしました。運営は愛知たいようの杜。同法人のグループホーム寄り道の道路を隔てて向かい側の敷地です。設計はゴジカラ村の設計者大井孝次氏。

敷地の形状から地下1階、地上2階建て、宿泊室は10室。すべてが異なるデザインをしている。

ここでも仕上の基本は木材で、すべての部分に贅沢に使われています。宿泊室へは、すべてがいったん、外部テラスからアプローチされ、コテージのような雰囲気を持っており、客室は浴室が窓側に配置されたものや、坪庭を持った浴室は陶器の浴槽があり、ある部屋はシャワーだけ設備されているなど、介護つきだからといって、同じ法人の各施設と同様に施設らしさはまったくありません。

かえって、ここまで自由に作ってよいのかと考えさせられるところもあります。

やさしいところ02.jpgやさしいところ05.jpgやさしいところ04.jpgやさしところ03.jpgやさしいところ11.jpg 

前回のデイサービスの紹介と共通するところは、制度(行政の)に縛られずに、運営者がこうあるべきといった理念を、そのまま形にしているところです。

いま、様々な高齢者の住環境が提案され、民間企業も参画して商品(?)化されていますが、それらの多くが制度の内容(しばり)から飛び出すことができず、本来の民間企業による発想の自由さや想像力の闊達さが影を潜めています。

様々な人生を送ってきた高齢者が最終章の人生を過ごす場所が、画一的な空間でしかないとしたら、なんとさびしいことでしょう。民間の企業はもっと自由に高齢者が選択できる環境を提供する義務があるのではないでしょうか。奮起を求めたいものです。

社会福祉法人や福祉とは関係のない法人が、今までの実践をもとに、制度の一歩先を行く施設を作り出していることに、高齢者住宅の問題の一つが隠されているように感じるのです。

やさしいところ10.jpg 

20080512

ユニークなデイサービス その1  デイサービス「平安郷」・プチホテル「光と風」

平安郷01.jpg平安郷03.jpg平安郷02.jpg平安郷0.jpg              平安郷10.jpg平安郷05.jpg平安郷09.jpg平安郷07.jpg平安郷04.jpg

まず外観を見るとそのかたちに驚かされます。

沖縄県うるま市、与那城から海中道路を平安座島に渡ると、港の公園の前に、切妻の屋根には緑がいっぱいあって、まるで小山のような形をした、「デイサービス平安郷」と「プチホテル光と風」があります。

院外薬局の「へしき屋」が運営するデイサービスは、プチホテルを併設するというユニークな形態を持ったもので、沖縄の海風を受け入れるように海に向かって、この字型をした平面形を持ち、コンクリート打ち放しと木材を使用した建物は、清潔で、ほど良いスケール感を持ったものでした。

1階のレストランは一般のお客も利用することができ、オープンなレストランは、デイサービスの雰囲気を穏やかに伝えてきます。デイサービスを利用する人たちが食事をする風景も垣間見ることができました。

2階の17室のプチホテルは、もちろん一般の宿泊が可能ですが、1階のデイと連携してショートステイとしても利用できると思われます。

ホテルには独立したホールやラウンジはなく、事務所も一緒になったスペースだけがあり、それが宿泊室をつなげています。しかし、このスペースはこの字型の平面形状によって、適当な大きさの空間に分割されています。木材を多用した室内は、利用者にやわらかで暖かな印象を与えています。

 

この施設のもう一つの特徴は、サステナブルデザインであることでしょう。

このホテルの2階は空調設備を持っていません。そのかわり熱気を上部にためてアクティブゾーンを快適に保つために、45度の勾配を持った屋根形状によって、大きな気積を持つものとしています。

屋根は構造体であるコンクリートの上に種子入りの土を吹き付けたもので、この「芝土(現在は雑草)屋根」には地下のタンクにためた雨水を散布するようになっています。土中には常にいくらかの水分があるので、現地ではほぼ常時吹いている海風にさらされることで、蒸散によって屋根面を冷却するシステムになっています。

これにより断熱材では得られない状況、すなわち外気より低い温度の屋根下の気温を期待しているとのことです。     (ケンプラッツ、新潮流フォーカスより一部転載)

大きなホールを通る風は大変心地よいものでした。

 

所在地=沖縄県うるま市与那城平安座下与佐次427-1
主用途=簡易宿泊所兼デイサービス

敷地面積=1779.96m2
建築面積=
834.91m2
延べ面積=
1244.12m2
構造・階数=RC 造、地上2

発注・運営者=へしき屋
設計・監理者=一級建築士事務所 河井事務所

 

2008.05.12

 

ぼちぼち長屋を訪ねて

ぼちぼち.jpgぼちぼち9.jpgぼちぼち6.jpgぼちぼち4.jpgぼちぼち10.jpgぼちぼち5.jpgぼちぼち7.jpgぼちぼち3.jpgぼちぼち8.jpgぼちぼち2.jpg

「愛知たいようの杜」の施設の中で大変ユニークな施設が長久手の町の中にあります。

その名前はほどほど横丁「ぼちぼち長屋」。急がずにゆっくりとボチボチ暮らそうという、障害を持った高齢者や子供の居るファミリーや若い女性たちの協同住宅です。

敷地入り口には平屋のデイサービスがあり、その奥に中庭に囲まれた木造2階建ての「長屋」が作られています。

手前には「ぼちぼちカフェ」という喫茶室があり近隣の人たちも利用するとか、ただ現在はリニューアル中で利用することはできませんでした。

長屋はとても良いスケール感のある建物で、とても温かみのある作り方は以前訪れたゴジカラ村のケアハウスにも通じるものがあります。もちろん運営母体が一緒ですから、運営のポリシーと建築の表現は共通していることは当然ですが、ひとつ気になったことはゴジカラ村で自然に感じた建築の「荒さ」がここでは目だって見えたことです。

ゴジカラ村とぼちぼち長屋では立地条件が違います。林に囲まれたゴジカラ村はその自然環境の影響からか建物の荒さも周辺環境に溶け込んで、程よいあいまいさやゆるさが感じられました。ぼちぼち長屋は街の中にあります。交通量の多い道路が前面にあり、中層建築に囲まれています。

このような立地では本来木造の持つ繊細さが必要で、この建物の荒さは周囲から浮き上がってゆるさやあいまいさが生かされないのではないかと感じました。製材したままの木材を使った建築は強さの裏返しとして荒々しさが際立ってくるのです。同じ材料を使った建築が建つ場所によって性格を変えることがとても新鮮に思うとともに、私たちに大きな問題を投げかけているように感じます。

それは住む人の精神的なありようです。荒々しい空間は住む人にその空間を受け入れられるだけの精神的な強さが必要です。特に高齢者にとってそのような強さを期待することはとても辛いものがあると思います。

ゴジカラ村の荒さは周りの林のやさしさに希釈されて、程よいゆるさになっていました。ぼちぼち長屋ではその希釈するべきものが無く、唐突に市街地の粗い環境に投げ出されています。粗さと荒さが重なり合って、生活するにはより強さを必要とする空間になっているのではないでしょうか?

精神の強さを生活者に求める(要求する)ことがこのような建築に正しいかどうか?守られた建築形態は無かったか?その中で町並みに開く「解」が無かったか?

私は今あるヒューマンな空間構成を否定するわけではありません、まして出来上がったものをそのプロセスに配慮しないで批評するのは容易です。建築の建つ場所性と空間構成、材料に十分な理論構築と検討が必要であることを改めて気づかされた一日でした。

 

2008.04.15

ゴジカラ村訪問記  愛知たいようの杜

R0011795.JPGR0011789.JPGR0011779.JPGR0011778.JPGR0011785.JPGR0011784.JPGR0011791.JPG

「こんにちは、お仕事ですか?」

「いえ、見学をさせていただいています」

「そうですか、私は傾聴のボランティアをしています。見ていかがですか?」

「建物は運営方針と、いわゆるソフトと設計が非常によく一体化していると思います」

「どうゆう意味でしょう」

「ただハードとして建物を捉えたら、仕上げの精度はよいとは言えないですし、床も歩いていて鳴りますし、マイナスなところがたくさんあります。でもここで暮らす人たちにとってそのルーズさの方を優先させて作られたと一平さんにお聞きしていますし、いろいろなところでちょっと隠れられるような迷路性というのでしょうか、今までの生活から大きく外れていないところが返って心地よいと思います。そしてラフな仕上げが帰って生活観を出してよかったと思います。以前からいろいろお話を伺っていましたからそのすり込みがあるかもしれませんが・・」

「お年寄りには暗いという人もいますが」

「確かに林の中に樹木を可能な限り保存して作られていますから、木が邪魔して光が直接入ってこなかったりしていますが、それだからこそ変化のある室内ができていると思います。それに、樹木はわれわれが来る前からここにあったわけですから、私たちがここに住まわせていただくと考えたら、素直に受け入れられるのではないですか?」

「なるほどね・・」

「ここにあるすべての樹木を切ってしまってその上に南向きの一列に並んだ建物を作っても魅力的ではないですよね、それより樹木と一緒になって生活することのほうがとても魅力的ですし、風の音や光のきらめきや季節が身近に感じられて、より豊かな生活だと思いますが。確かに移動や日常的な便利さは多少落ちると思いますが、それ以上のものがここにあると感じました」

「ありがとうございました」

「こちらこそありがとうございました。また寄せていただきます」

  20081

鞆の浦さくらホーム  ひとのチカラ、地域のちからそして・・・。

IMG_1664.JPGIMG_1660.JPGIMG_1663.JPGIMG_1673.JPGIMG_1668.JPGIMG_1669.JPGIMG_1677.JPGIMG_1678.JPGIMG_1681.JPGIMG_1685.JPGIMG_1680.JPGIMG_1684.JPG

福山駅から南へ15kmほど離れて、瀬戸内海の穏やかな海に囲まれるように小さな集落があります。鞆の浦、瀬戸内海の潮の流れが沖合いで変わることから、かっての瀬戸内航路の潮待ちの港として、また朝鮮半島や大陸からの重要なルートの中継地点として栄えた人口約3万人の漁業を中心とした集落です。

鞆の港を囲むように作られた集落の南北には寺町通り、東西には尾道市に抜ける県道47号線が走っていて、そこから枝分かれした小さな露地を挟んで江戸後期の建物や明治初期の建物が軒を接して点在しています。まるで何百年も前にタイムスリップしたような雰囲気を持った町です。

その集落の一画に古くからあった岩谷邸(醸造酢店)を改修したグループホーム「さくらホーム」がありました。運営については別に語られる人がいるでしょうから、ここでは建築と地域の結びつきのようなものを書き留めたいと思います。

元禄期前後の建築とされ、明治以降醸造を行わなくなった2階建ての醸造所は使われなくなると建物の傷みはひどく、彼らが手に入れたときは、たぶん使用材料の質の悪さや海辺である環境の苛酷さからでしょう、傾きゆがんでいたといわれます。

そのような建物を取り壊さずに復元(たぶん新築するより数倍の努力が必要だったはずです)させたのは、病み、痛みを訴えているかれらの歴史的遺産でもある集落の恢復(保存)への情熱でした。

鞆の浦には数百の歴史的建物(その大部分は民家ですが)があります。いかに福山市の中心部から離れていようとも、都市化の影響は好むと好まざるにかかわらず押し寄せてきます。自動車の発達による交通の変化や高齢化による独居老人の増加、そして引越し・退去による空き家から建物の傷み、取り壊しといった経緯を経て少しずつ空地が増えてきています。

町並み保存の動きはNPOなどを中心に進められているのですが、行政の無理解や無謀な開発によって、また財政的な問題からその歩みは遅々として進んでいません。

中央の建築家やアカデミズムも保存に声を上げていますが、残念ながら直接的な力にはならず、住民自らが努力を重ねるといった状況です。

確かに鞆の浦は歴史的建造物といっても巨大な寺院や城郭はありませんが、そこにある民家群は庶民が暮らした証であるとともに、生活の歴史です。権力者の歴史ではなくわれわれの歴史が存在しているのです。そのような集落こそ保存するに値するでしょう。しかし、集落は病んでいます。このままではみすみす自分たちの貴重な財産を失うことになります。残念ながら行政はそのことに気がついていません。

NPOは病んだ集落を回復すべく持続した活動を行っています。しかもただ復元するのではなく新しい機能を盛り込んで、今の時代に適合させようと試みているのです。

さて「さくらホーム」ですが、醸造所の作業所だった建物を中心にデイサービスと9戸のグループホームを作っています。

作業所だった空間は木造の梁と桁が表しになった吹きぬけ空間(やぐらつくり)で、大きいけれど繊細な表現を形作っています。そのホールには幅一間ほどの中二階がありここはかって作業員の寝泊りする場所だったようですが、現代風にロフトに生まれ変わり、学校帰りに訪れる子供たちの格好の遊び場になっています。子供たちの声が吹抜けたホールから2階の居室群に聞こえていく。また隣り合ったリビングやデイサービスにもふすま戸を通して聞こえていく、うきうきとした空間になっています。

廃材を利用した階段を上るとギャラリーのような廊下を介して9人の高齢者の住まいが作られています。廊下の幅は約3尺、天井高さは低く(一般的な高さから比べると)民家のスケールそのままに計画されています。少しゆがんだ平面形の廊下を通ると、なんとなくなつかしく、いつか見た風景が繰り広げられます。

居室は和室だったり洋室だったりさまざまですが、みなそれぞれの思いをこめた住まい方をしています。扉は障子やふすま戸でこれも古い民家から調達してきたものと聞きました。

非常時に廊下が避難の場所ということから居室の間は防火区画を行わなければならないという規制から、扉を不燃扉そして市販品の防火扉を設計する施設からは、想像もできないなつかしくも暖かな作り方です。規則はひとの動きや気持ちを考慮していません。そのことがいかに人間的でない空間、他から規制された空間を作っているか思い知らされました。

ここではひとの生活が廊下にもあふれていて、静かな雑然さがありました。

グループホームに入居している人たちは、いちばん遠い人で徒歩10分の距離といわれます。それは今までの生活を捨て去らずに新しい安心した生活を送れることを意味します。

今まで生活していた場所を離れずにいられることは、その人にとってこれ以上の環境はありません。いかに豊かに(さまざまな設備を設けて)建築を作っても、彼らの生活環境を作ることはできませんから。

建物や街路を復元するだけでは本当の意味で恢復したとは言えません。古い文化の中に現在の文化を挿入して、葛藤させながら新しい価値を見出すこと。過去と継続する現在の葛藤を恐れずに取り組むことができれば、街は恢復から再生に変わっていきます。

古い町並みを保存しながら新しい機能を挿入して、集落そのものを恢復(再生)させる運動を鞆の浦では試みています。

「さくらホーム」は理想的な地域と人を得て、よみがえりました。

彼らの勇気に脱帽。

 

200412月 

神戸復興コレクティブ住宅「真野ふれあい住宅」

IMG_1628a.jpgIMG_1622a.jpgIMG_1624a.jpgIMG_1627a.jpg

阪神の震災から10年*の月日が流れました。

朝一番のTVニュースで映し出された黒煙と横倒しになった高速道路の橋げたは昨日のように思い出されます。あの黒煙の下で、たくさんの人たちが絶望を感じ、そしてまた多くの希望もあったことは私たちの見るTVの画面からは想像もできませんでした。

あれから十年、まだ町のあちこちには空き地が残っていますが、あの叫喚はもうすっかり町から消え去っています。そんな初冬の一日、神戸長田地区のコレクティブハウスを見学できる機会に恵まれました。 神戸市長田区浜添地区のコレクティブハウス「真野ふれあい住宅」。周囲は震災の被害を逃れた工場や長屋が密集する典型的な神戸の下町でした。27戸の単身者用住宅(内21戸の高齢者住宅)と8戸の一般世帯用住宅で構成された「真野ふれあい住宅」はそんな環境に敷地いっぱいの規模で建っています。

この住宅の特徴は基本設計時点で入居する人たちと月一回のワークショップが開かれ、住宅の使いかたや設計の意図を事前に共有していったことにあります。建築計画上も長田地区に昔からあった路地空間を各階に取り入れ、住戸前のバルコニーを通り抜け空間にし、室内や廊下からお互いの気配を感じさせるしつらえを作るなど、プライバシー空間とコミュニティー空間の微妙なバランスに配慮しています。

周辺を工場などで囲まれた「真野ふれあい住宅」は、必然的に内部へコミュニティー空間を広げざるを得ませんでした。前出のバルコニーや共用の食堂(多目的)空間などがそれです。私たち建築の設計を職業とするものは基本設計、実施設計という過程の中でたくさんのアイデアを盛り込もうとしていきます。それは独りよがりではなく数値的に十分な裏づけを取り、性能などを確認したうえで形にしていくのです。

しかし、それを使う人たちは一つの論理や理論では生活していません。まして集合住宅のように価値観の違う人たちが、主として経済的効率から同じような間取りの部屋に暮らすことは、彼らの生活を型にはめ込むことに通じます。ワークショップの試みは空間のアイデアを住まう側の地平に下ろし、彼らの新しい空間への意識の変革(少し大げさな言葉使いですが)と、伝達にありました。

その結果かわかりませんが、ここ「ふれあい住宅」では住民の皆さんが建築を自然に受け入れています。使いこなすとは別にあるがままのものとして許してくれているように感じました。しかし、居室の前のとおり抜けの路地空間など、理論的には理解できてもプライバシーの確保からすれば感覚的に受け入れにくいのではないでしょうか。すべての住居がカーテンを閉め切っていたことからもそれは伺えます。

設計者には本来その後の生活プログラムにも責任とフォローが求められます。設計や建築の作業は竣工した時点で住まう側に主役が移ります。これは設計のプログラムや空間の責任を彼らに託すことです。私たち建築家(あえて言うと)は自信を持って彼らに建築をわたしているでしょうか。

「真野ふれあい住宅」の人々が建築をあるがままに受け入れていく過程には、多くの葛藤があったと思います。多目的空間の食堂が一時期使われずに明かりが消えていたといわれます。計画時点での思惑と実際に生活していく人々との生活実態との相違が現れた証拠だと思います。彼らがその空間に再び明かりをつけたことは、彼らがあたらしい生活(建築)を受け入れてくれた証拠であると思うのです。住まう人たちにとって生活のプログラムの修正を行ってはじめて空間は意味を持ち始めたのでしょう。新しい生活への大きな勇気を感じるのです。

  *この文章は2005年に書かれました

本当のしあわせの家  特別養護老人ホーム神戸「神港園しあわせの家」を見学して

「神港園幸せの家」は認知症専用施設の特別擁護老人ホームで、神戸市のみならず全国的にも早くから(平成7年に新設)ユニットケアを志向して建築した施設でした。

建物は本館等と認知症専用のグループホーム棟からなり、グループホーム棟は10室と12室のグループが各階ひとつずつ、3フロアで66室の規模となっています。各階は長いスロープでつながれていて、各階への移動は自由にされています。ただし夜間はグループごとに施錠され、主入り口の玄関は終日施錠管理されています。六甲の家、須磨の家、摩耶の家など兵庫県の地名を取り入れた各グループは、認知症の症状によって分けられていて、症状が変化した場合は部屋を移るといいます。 

平成7年の開設という早くからグループホームやユニットケアを注目して施設を作り上げていった努力と先進性は十分に認められるものの、グループホームやユニットケアの意味が残念ながら見受けられないのです。建築に問題を写すならば介護の変化に対応できるものになっていなかったことにも設計の責任はあるのでしょう。少人数で暮らすことだけが注目されて、小さなスペースに閉じ込められている、そんな印象を感じました。

周辺の自然やオープンスペースの豊かさを見ると、この環境を生かした計画(設計)ができなかったか、残念に思います。なぜ日中も施錠された空間で過ごさなければならないのか?社会とのかかわりは?たずねてくる人だけが外部との接点でいいのだろうか?さまざまな施設を見学するたびに感じるのです。

認知症の人たちはユニットケアとかグループホームといった形の中で、今まで以上に不自由な生活を強いられているのではないでしょうか。それも彼らの生活を支える介護者(われわれ)の論理によって十分な生き方を阻害されているとしたら、最新のケアシステムを謳いながらなんと寂しいことでしょうか。しかも症状の変化(認知症の進行度合い)によって住まいすら替えなくてはならないことは、彼らの都合ではなく介護者の都合でしかないのです。主と従が入れ替わっています。

彼らにとってはより密接な介護ができるとの言いようがあると思いますが、本当にそうでしょうか。彼らにとってこの家は「しあわせ」でしょうか?人はさまざまな時間を背負って生きてきました。貴重で豊かな時間であるべきその最後の一時が、ひとつの型にはめられたモノだとしたら、辛く悲しいことです。しかもわれわれはそのことに気がついていないのです。

彼らが本当に欲しているものを、彼らの視点にたって渡してあげる。それが私たちに課せられた課題なのでしょう。彼らが最後の一時を彼ららしく行きぬくことができる、そんな介護と建築を作っていかなければならないと感じています。